大相撲鳴戸部屋幕下力士 豊橋出身玉欧山 故郷に錦を「関取」への道
関取目指し、今年が勝負の年ー。豊橋出身の幕下力士・玉欧山(ぎょくおうざん/本名金沢秀俊)が着実に番付を上げている。豊橋中央高校を卒業し、元大関琴欧州の鳴戸部屋に入門して4年。豪快な突き押し相撲で三段目、幕下と駆け上がったが、負け越しが続いて降格の辛酸もなめた。紆余曲折の相撲人生はまだ始まったばかり。「一月場所(11日初日、両国国技館)で大勝ちして十両への足掛かりにしたい」と飛躍を誓う。戦績を振り返り、今年の意気込みを語った。

玉欧山善仁
平成15年6月20日生、22歳。南陽中、豊橋中央高卒。中学で相撲を覚え、高校時代はパワーリフティング部に所属。初土俵は令和4年三月場所。通算成績(24場所)86勝65敗3休。最高位幕下二十枚目。得意は突き押し。令和6年十一月場所に金沢から玉欧山に改名。身長183.5cm、体重184.8kg。
ーここまでの自分の土俵を振り返って。
「周囲からは順調にきていると言われるが、大勝ちもないし、3場所連続の負け越しと足踏みも多かった。自分としては描いていたより遅いと思っている。後から入門した力士に抜かれたときは本当に悔しいし、同じ年齢の伯桜鵬関や琴栄峰関、藤凌駕関の活躍は刺激になる。言い訳のきかない勝負の世界ですから、自分の相撲を取り切って結果を残すだけです」
ー初土俵から四場所で三段目に上がり、令和6年の7月場所からは幕下で相撲を取った。
「幕下に上がって4場所連続で勝ち越すことができ、ここまでは順調にきていた。周りも見えていたし、星を伸ばし続ければ十両も近いんじゃないかと。でもそんなに甘くはなかった」
ー昨年の一月場所から2勝4敗が三場所続き、再び三段目に降格した。
「さすがにどん底まで落ち込みました。勝ち方を忘れてしまったというか、土俵に上がるのが怖かった。稽古は十分に積めていたし、怪我をしたわけでもないのに何故だろうと、自問自答の繰り返しでした。今思うと、幕下で結果が出ていたのでおごりや慢心があったのだと思う。気持ちの甘さが出ていた。不安や心の弱さを打ち消すには稽古しかないと、体が悲鳴を上げるまで兄弟子らの胸を借りて土俵に打ち付けられ、何とか長いトンネルを抜け出すことができました」
6勝以上の大勝を
ー昨年の七月場所から三場所連続で勝ち越し、番付も幕下三十枚目まで上がった。
「ここからの振い落しが最も激しい。十両と幕下では評価も待遇も天と地ほどの差ですから、これからが正念場。大勝ちしない限り番付の上がりはわずかですし、油断や取りこぼしは命取りになる。一度ここから突き落とされたので体が覚えている。今年を占う意味でも初場所は絶対に勝ち越す。過去6勝以上の大勝がないので、そこを目標に白星を重ね、十両への足固めにしたいですね」
ー部屋には欧勝馬関と欧州海関の2人の幕内力士がいる。
「相撲だけでなく、体のケアや土俵に向かう姿勢、ONとOFFの切り替え方など勉強になります。欧勝馬関にはまったく歯がたちませんが、欧州海関は何番かに一回は勝てるかな。もちろん運良くですよ。部屋にはお相撲さんが13人在籍していて、稽古中は独特の緊張感が漂っていますが、普段の生活は家族のように仲がいいですね。入門前は昔の軍隊の施設のような所を想像していて、東京(所在地墨田区)という街も怖かった。でも、部屋の雰囲気がいいのですぐに慣れました。ちゃんこ番で料理を覚えて、僕の作る塩ちゃんこは評判いいんですよ。空き時間は気分転換に街ブラすることもあります。ハンバーグ店巡りが好きなんです。あと映画もよく観ます」
地元の声援を力に
一昨年の10月に豊橋で巡業が開催されたときは多くのファンに囲まれ、記念写真も撮った。地元の声援は力になる。
「そうですね。豊橋場所の前日に家族や学生時代の友人と楽しい時間を過ごしました。みんな温かくて、やっぱり故郷は空気は違う。地元の人たちの声援に応えるためにも、そして郷土に錦を飾るためにも、早く目標(関取)を達成しなければと思います」
ー参考にしている力士は。
「玉鷲関ですね。下半身がどっしりしていて、押しも突きも鋭い。40歳超であの豪快な相撲が取れるんですから怪物ですよ。人柄もいいと評判です。僕も玉鷲関のように息の長い、みんなから愛されるお相撲さんになりたいですね」
ー角界に入って変わった点は。
「基本的には変わりませんが、やはり毎日土俵で転がされていますから反骨心と忍耐力は付いたと思います」
ー描く未来図は。
「今年を勝負の年と位置付け、一場所でも早く十両に上がること。昨年の失敗(三場所連続負け越し)を教訓に、取りこぼしなく着実に番付を上げて2、3年後には幕内で相撲を取っていたいですね」