スポーツ春秋
優しくて上品な秋田美人が地域スポーツの指導者として奔走。卓球ラケットと故郷の想い出をカバンに詰め、東北を後にして半世紀。地域に溶け込み、幅広い年代とピンポン交流を続けている
10代で親元を離れて実業団の門を叩いた。職業アスリートとして広告塔の責務を果たし、数え切れない挫折もあった。「最初は寂しかったですよ。土地勘もないし、訛(なま)りが恥ずかしくて友達もできなかったですから」。でも、卓球があった。頑張ってけれっすな、と小さなピンポン球が支えてくれた
結婚、出産、子育てで1度ラケットを置いたが、競技者から地域のママさん選手に肩書きを変え、後進の指導にあたる。「この地域の人たちは、地方から出てきた私を幼なじみのように接してくれた。これからも、体力が続く限り恩返しです」と仲間の待つ卓球台に向かった。