chigiri vol.190 ライトノベル作家 雨森たきびさん

chigiri vol.190 ライトノベル作家 雨森たきびさん
Chigiri vol.190

一度、夢から離れたからこそ描けた世界がある。
豊橋から生まれた、遅咲き作家のアオハル物語。

ライトノベル作家 雨森たきびさん

 夢を追いかけるのをやめた——。そんな経験をお持ちの方も少なくないはず。やりたかったこと。なりたかった自分。けれど、忙しなく過ぎる毎日の生活に精一杯で、いつの間にかその夢は「過去の話」になっていく。諦めたというより、そっと胸の奥にしまい込んだ。そんな感覚に近いのではないだろうか。

 『負けヒロインが多すぎる!』(以下、マケイン)で注目を集めるライトノベル作家の雨森たきびさんも、かつて小説を書くことをやめた一人だ。大学卒業後、作家を目指して執筆に打ち込んだ時期はあったものの、自分の実力と現実を前に、その道から離れることを決断。その後は、社会人として日々を重ねていった。仕事に追われ、生活に向き合う中で、小説からは次第に距離ができ、気がつけば20年近く、一行も小説を書かない時間が流れていたという。

 「40歳を過ぎた頃。ふと、父親が自分と同じ年齢だった時のことを考えたんです。父は実直な技術者で、子どもの頃は“かっこいい大人”そのものでした。じゃあ、今の自分はどうなんだろう…と。正直、父のような立派な大人になれている気がしなかった。何を始めるにも時間は限られているし、体力も昔と同じじゃない。この瞬間が一番若い!だったら、今しかできないことをやってみようと思いました。少しの間だけ、昔の夢にチャレンジしてみようかなって(笑)」。

 受賞までに4年を費やした『マケイン』は、一般的な学園もののラブコメとは一味違う。ヒロインの恋の始まりや想いが実る過程ではなく、「誰かに選ばれなかったあと」「恋が終わった、その先」を描いた物語だ。勝ち負けでは割り切れない感情の揺れを、スパイスの効いたユーモアと切なさのバランスで描いている。その視点のずらし方は新鮮で、気がつけばページをめくって読み進めてしまう。普遍的で程よく文学的な要素も含まれており、ラブコメが少し苦手な方も楽しめる内容だ。また、どこか共感を生むようなほろ苦いエピソードは、王道のラブコメを読み尽くした、目の肥えた上位オタクにもしっかり刺さる。『マケイン』は、そんな懐の広さも持った作品だ。

 「『マケイン』で描きたかったのは、恋の勝ち負けそのものではないんです。誰かに選ばれなかったあとも、キャラクターの人生は続いていく。傷ついたって学校には行くし、お腹が空くからご飯も食べる。簡単には整理のつかない気持ちを抱えたまま、日常を送る登場人物たちの姿や、その時間をちゃんと描きたいと思いました。だから、物語の当事者ではなく、達観的に見られる位置に主人公を置いています。リアルな立ち位置でヒロインたちに寄り添う主人公の“そばにいる時間”の物語でもあるんです」。

 物語の舞台は、雨森さんが青春時代を過ごした豊橋。地方都市ならではの距離感や空気感が、登場人物たちの感情にリアリティを与えている。一度は夢から離れた人が、人生の途中で戻ってくる。その歩みは、特別な成功談ではない。取材中に感じた、気さくで柔らかな話し方や、相手の言葉を受け止めるような雨森さんの笑顔は、そうした時間の積み重ねの延長にあるように思える。その人柄は『マケイン』の中で、主人公を誰かのそばに静かに立たせる表現へとつながっているのだろう。遠回りを重ねてきた人生の途中で、今だからこそ描けた青春は、「負け」を楽しむ社会現象にまで押し上げている。雨森たきびという作家が紡ぐ物語には、そんな時間の厚みが息づいているのではないだろうか。


特別な才能があったわけじゃない。
ただ、好きなことを、やめなかっただけなんです。


———小説に夢中だった学生時代から、作品をきっかけに広がった人とのつながり、そして40歳を過ぎてから見えてきた実感まで。雨森たきびさんが、自身の言葉で振り返る。

 

妄想ばかりしていた、物語の原点

 学生時代は、自分の妄想の世界に一日中浸っていました。ずっと別の世界にいる感じで。いわゆる「オタク」でしたね(笑)。そんな頃に出会ったのが、イラスト付きで気軽に読める小説「ライトノベル」です。とにかく面白かった!当時、中学生だった自分にも読みやすく、安価で、手に取りやすい。ハマりましたね。漫画も好きだったけど、絵は苦手なんです…。字も下手だったけど、父から借りたワープロで文章を打ってみたら、自分の書いた物語がきれいな文字で印刷されました。それが楽しくて「あぁ、これなら自分にもできるかな」って思ったのが、小説を書き始めたきっかけでした。今みたいに何でも揃っている時代だったら、こっち側に戻ってこられなかったと思いますよ(笑)。

「負けたね」って笑える、社会現象

 ファンの皆さんは、読むだけではなく、『マケイン』を使って楽しんでくれているようです。豊川堂さんなどの書店で企画される「サイン本のお渡し会」では、当選した人だけではなく、外れた人も集まっていたそうです。抽選に漏れたことを「負け」と捉え、その場にいること自体を楽しむ。勝ち負けに一喜一憂するというより、「負けるのも含めて楽しもう」という空気が、自然と広がっているようです。作品の中で描いてきた価値観が、現実でも共有されているのを見られるのは、すごく嬉しいですね。また、豊橋をお題としたSNSの投稿やオフ会での交流もさることながら、聖地をきれいにする530運動も開催されるなど、コミュニティも広がっています。そういった方々に『マケイン』は支えられています!皆さんありがとう!

豊橋って、何もないけど全部ある

 物語の舞台は青春時代を過ごした記憶の残る豊橋。ただ、いくら振り返っても、小説に描かれるような女性との甘酸っぱいエピソードは蘇りません(笑)。女性を前にすると固まってしまう男子症候群で、恋愛とは無縁。男同士の友情を育むことで青春を謳歌した思い出のまちです。
 地元の人はだいたい「何もないところ」って言うんですけど、18歳で外に出た私から見れば、なんでも一通り揃っていて、作中の高校生たちが物語を生むにはちょうど良い場所なんです。派手な場所ではないけれど、同じ人と何度も顔を合わせる距離感があって、その中で関係が続いていく。『マケイン』は豊橋だからこそ描ける、青春群像劇なんです。

遅すぎることなんて、ない!

 作品が世に出たのは40歳を過ぎてから。正直、随分遅咲きです。ただ、遠回りしたとは思っていません。むしろ『マケイン』は、40歳を超えた自分だから書けた作品だと思いますし、皆さんにも読んでもらえていると感じます。また、小説だけではなく、漫画化やアニメ化を通して、作品と故郷豊橋を、世界中の人に知ってもらえるなんて!今でもワクワクしっぱなしなんですよ!
 『マケイン』で描いているのは特別な「誰か」ではなく、今の自分が考えた身近な感情や時間を切り取っているだけ。何事も遅すぎることはない。その時だからこそできることや、成し遂げられるものが、必ずある。今はそう感じています。


あまもり・たきび さん プロフィール
1975年、豊橋生まれ。吉田方中学校出身、豊橋東高等学校を卒業後、金沢大学へ進学。在学中は文芸部に所属し、表現力を磨きながら創作活動を行う。大学を卒業後は、作家を目指して1年半ほど執筆活動を行う。当時を「自分の実力では夢に届かないと実感した1年半」と振り返る。その後、創作活動に見切りをつけて企業に就職。40歳を過ぎた頃、再び執筆活動を開始。2021年、応募総数1,263作品の中から、第15回 小学館ライトノベル大賞〈ガガガ賞〉を受賞し、作家デビュー。(受賞時のタイトルは『俺はひょっとして、最終話で負けヒロインの横にいるポッと出のモブキャラなのだろうか』)同年、小説『負けヒロインが多すぎる!』(ガガガ文庫)初版第1刷発行。2022年、『負けヒロインが多すぎる!@comic』 小学館〈裏少年サンデーコミックス〉連載開始。2024年、テレビアニメの第1期が放送。今年、テレビアニメ第2期の製作が決定。「このライトノベルがすごい!2025」では総合1位を獲得。12月には、豊橋市より豊橋観光アンバサダーとして委嘱を受け、マケインが「とよはし青春アンバサダー」に就任。その飛躍ぶりから目が離せない。


▶︎雨森たきびさん 公式X
▶︎ガガガ文庫〈小学館〉