"地産軍団"いざ出陣 豊橋中央 初戦の相手は日大三

 記録を塗り替える猛烈に熱い夏ー。全国高校野球甲子園大会が開幕した。初出場の豊橋中央は第6日に登場。西東京代表の日大三と対戦する。日刊紙は連日コメントとともに選手の一挙手一投足を追い、大見出しを打っている。本紙は締め切りの関係もあって後手記事になってしまい、紙面にも限りがある。ならば、角度の違う切り口から中央野球を追う。

気を吐く突貫小僧

 今から27年前。ボーイズリーグ野球の夏季全国切符を賭けた支部予選決勝「豊橋スカイラークス(愛知豊橋ボーイズ)VSオール豊川(豊川中央ボーイズ)」。当時バチバチのライバル関係で、試合前のアップ時から肩をいからせ相手を威圧。眼(ガン)飛ばしが独特のエール交換のようだった。スカイラークスを率いるのは藤山虎雄初代監督(現総監督)。「ザ・昭和」の野武士野球が売りで、やんちゃな選手を乗せるのがうまかった。この試合、スカイラークスは接戦を制し、春に続いて2季連続で全国出場を決めた。歓喜の輪の中でひと際目立っていたのが、小柄でがっちり体型の少年。突貫小僧のような風貌で、とにかく打球もガヤもよく飛ばした。表彰後の記念撮影で、深紅の優勝旗を手にしたのが萩本将光主将だった。わんぱくを絵に書いたような萩本少年はその後、長打力とキャプテンシーを名刺代わりに同期とともに中京大中京に入学。3年後、5番1塁手として夏の甲子園の土を踏んだ。

雑草の反骨精神

 同好会からスタートした豊橋中央野球部は2003年に部に昇格。学校から少し離れた梅田川沿いの専用球場(大山グラウンド)はまだ整備が追い付いておらず、練習後は土の入れ替えや草取り、石拾いにも時間を割いた。当時、公立の伝統校と豊川、桜丘の私学が火花を散らす戦国期。まずここを収めることが至上命題。女子高時代から名の通ったバレーボールとソフトテニスに並ぶ「共学の看板部」の命を受けた。数年後には東三河で毎年優勝を狙える位置まできた。だが、県の壁は予想以上に厚かった。シードを獲りにいっても全国区のブランド校に跳ね返された。

 指導手腕を買われて萩本将光氏が豊橋中央のコーチに就いたのは2013年。5年後、監督に就任。コーチ時代から時間をみつけては地元クラブや中学部活へ”営業”に回り顔を売った。「一緒に甲子園を目指そう」。だが、首を縦に振る選手は数えるほどだった。有望選手を発掘しても市外の強豪や県外に持っていかれた。断りの理由は判で押したように「甲子園に近い学校に行く」。胸に刺さる言葉だった。強豪校のセレクションに引っかからなかった生徒の”受け皿”という時期もあった。その度に指揮官も部員も「負けてたまるか」の反骨心が増幅していった。

風向きが変わった

 豊橋出身の谷川原健太捕手が2015年のドラフトでソフトバンクホークスから指名を受け、同校プロ第1号。その後、20年に中川拓真捕手がオリックス・バファローズ、翌21年に星野真生内野手がドラゴンズから指名された。「甲子園経験のない学校からプロへ」は大きなインパクトを残した。萩本監督の眼力と潜在能力を引き出す育成法が話題になると、少しずつ風向きが変わってきた。「地元に残って強豪を倒したい」「チームメイトと甲子園を狙いたい」。中学生や保護者が振り向くようになり、欲しかったピースが揃いはじめた。

 支持母体が強化されて県の常連校に名を連ねると、V争いに絡むようになった。24年春は豊川のセンバツ出場一色だったが、豊橋中央は秋季県大会で3位になり、初めて東海大会に進出。初戦で涙を飲んだが、甲子園を視界に捉えた。好投手を擁した昨夏は主力のケガもあって準々決勝敗退。失意のどん底を経験し、原点回帰の「雑草魂」に火が付いた。

 地方予選から追うと分かるが、監督の表情が県大会とは違う。例えば今春の東三河大会。1次リーグからコールド勝利を重ね、決勝では秋に足元をすくわれた豊川を6ー0で破った。だが笑顔はない。鋭い眼光で選手の動きを追い、ミスをしようものなら烈火の如く檄が飛ぶ。戦術がはまっても顔色一つ変えない。緊張した空気感の中でどれだけ普段着の野球ができるか試しているよう。逆に県大会などで指揮を執るときは、時折笑みをつくり、掛ける言葉も柔らかい。これが四半世紀前、恩師から授かった流儀なのかもしれない。地方球場は鍛錬。県大会はプレゼン発表。さて、夢の舞台ではどんな輝きを放つのだろう。

胸に宿る地元愛

 ”地産軍団”の快挙だ。バッテリーを組む髙橋大喜地投手と松井蓮太郎捕手は向山ビクトリー時代からの気心知れた幼なじみ。3番遊撃手の花井成次選手は栄ドリームズで基礎を学び、主将で4番左翼手の砂田隆晴選手は富士見高豊クラブで力を付けた。1年生でレギュラー入りした6番1塁手の中立大翔選手は牟呂サンライズの主将としてチームを牽引した。「はじめの一歩」を見守ってきた関係者の喜びはひとしおだろう。中学クラブは全員愛知豊橋ボーイズ。県下に誇る”少年野球王国とよはし”。地元愛の結束力が『突破力』となって聖地を引き寄せた。

伝説の夏がはじまる

 豊橋市の学校の優勝は1951年の豊橋商業以来74年ぶり。東三河地区からの夏の甲子園出場は1975年の国府以来実に50年ぶり。市内の喫茶店やスーパー銭湯などでは「豊橋中央は勝てるかねぇ」が挨拶がわり。この時期、ぶらりと豊川の居酒屋に立ち寄ると、白髪の初老たちが半世紀前の球児の夏を肴に口角泡を飛ばしている。それはもう、脳裏から離れない歴史的な夏だった。後世に語り継がれる伝説の夏がいよいよはじまる。