一念発起。銀輪に夢乗せて疾走 自転車との出会いで人生観変わる
「諦めなければ思いは叶う」。使い回されたフレーズも、一周回って新鮮だ。時習館高校出身の花田雄飛さん(23)=市内牟呂町=が、日本競輪選手養成所(静岡県伊豆市)の資格検定試験に合格し、競輪選手への一歩を踏み出す。二十歳から挑戦を続け、ラストチャンスと決めていた「3度目の正直」で可能性の扉を開いた。同校出身の男性で競輪の道を進むのは初めて。「少し遠回りもしたけど、今はその道のりも人生の教科書だったと思います」と、強じんな肉体に力がみなぎる。
時習館高校出身花田雄飛さん
3度目の挑戦で合格
競輪選手養成所の試験は、10月に実施される1次が1000㍍タイムトライアルなどの実技。通過者が12月の2次に進み、口頭試問や作文、筆記などの人物考査で合否が決まる。昨年は男子403人が受験し、合格者は72人だった。花田さんは1度目が1次で落ち、2度目は2次で辛酸をなめた。「今回ダメだったら、きっぱり諦めようかと。いろんな人に支えてもらっていたから、喜びより安堵(ど)の方が大きかったですね」と胸をなで下ろす。
牟呂中時代は野球部、高校では陸上競技部に所属。400㍍を専門に3年夏は県総体(インターハイ予選)8位入賞。東海大会は逃したが、完全燃焼できたことで競技用スパイクを脱いで大学受験にシフト。だが、2度失敗し、1人取り残されたような虚無感があった。そんなとき、競輪と出会った。
3年ほど前に友人に誘われ、豊橋競輪場で開催された全日本選抜G1レースを間近で観戦。その臨場感とスピード感に鳥肌が立った。視界にもやがかかったような浪人生活を送っていたこともあり、圧倒的な世界観に心が動いた。「自分を変えたい。あのバンクを疾走してみたい」。口にするのは容易だが、本気度が試される。大学受験を途中で投げ出すことになるが、家族はその熱い思いを理解してくれた。運動から遠ざかっていた身体が悲鳴を上げることも覚悟の上での自分探しだった。
悲鳴あげて肉体改造
競技用自転車に乗ったこともなければ知識もない。身体のどのパーツを鍛えていいかも分からない。ゼロベースの中でまず土台となる肉体改造に着手し、心・体の芯に鉛を打ち込んだ。地元出身の元選手尾崎弘隆さんらを頼って、午前中は豊橋競輪場で脚力を鍛え、午後からは筋トレで追い込み、夜はスポーツジムでスタミナ強化を図った。参考書が必須だったころとは生活スタイルが180度変わった。刺激を注入することで、電気ショックのような化学反応を感じた。「きつかったけど、感じたことのない充実感があった。気持ちの操縦法を覚え、時間を大切にするようになりました」。
そして「頑張ってこれたのも、整骨院のボディケアのおかげ」と、感謝を口にする。痛みの専門治療院として親しまれる「とがみ整骨院」(牟呂町八王子)は父親が営む施術院。「(トレーニングで)疲労困ぱいの肉体を時間をかけて丁寧にメンテナンスしてくれました。身体を設計してくれた恩人です」と、うれしそうに話す。
愛され力のある選手に
養成所の在学期間は毎年5月から翌年3月まで。候補生は厳しい管理体制のもとでプロ選手としての社会学と技術を叩きこまれる。午前は学科講習をメインに、一般教養のほか自転車競技法や競輪規則など。午後の実科講習は科学的トレーニングを取り入れた競走訓練や中・長距離ロード訓練などで競走力をつける。
3月の卒業記念レース後、5月のルーキーシリーズ(全4戦)でプロデビュー。花田さんはパワーを武器に前半から仕掛ける「先行逃げ切り」を目指す。A級3班からスタートし、実力と知名度を上げて「地元を代表する『愛され力』のある選手になりたい」。階段を駆け上がり、究極の目標は最高峰のグランプリ出場だ。奮いたつ疾走感の中で、己との闘いが始まる。